「自分が受けた性教育といえば?」
この質問をした時、
多くの人がまず思い出すのが、女子だけ集められて生理の話を聞く時間です。
第二次性徴と生理を“女子の話”として扱うことは、
長い間続いてきた日本の学校文化の一つでした。
最近では、
男女一緒に第二次性徴の授業を行う学校も増え、
自分とは違う体の仕組みを理解する機会が広がっています。
しかし一方で、
養護教諭の先生からは
「生理用品の詳細な使い方まで男女混合で教えるべきか」
「生徒から『異性と一緒に話を聞くのが嫌だった』という声が出る」
といった、現場ならではの悩みを聞くこともあります。
ここで大切なのは、
「女子だけ集められて生理の話」
の時間を持つこと自体を否定するべきではないという視点です。
男女別々にすることが問題なのではなく、
男女別にした結果、一方に何も教えないことが問題であると私は考えています。
第二次性徴は男女ともに起こる体の変化であり、
それを正しく知ることは誰にとっても必要です。
しかし現状の日本では、
性教育の時間そのものが十分に確保されておらず、
第二次性徴の授業を行う学年になる前までに
「体のことを学ぶ土台」が整っているとは言い難い状況です。
本来なら段階的に学ぶべき性の知識を積み重ねられないまま、
いきなり思春期特有のテーマを男女一緒に学ぶことで、
子ども自身に恥ずかしさや嫌悪感が強くなるのは当然のことだと思います。
だからこそ、
体の違いを踏まえて男女別に授業を行うことは悪いことではありません。
それぞれで
- 自分の体の成長について詳しく学ぶ
- 異性の体に起こる変化を科学的に知る
という時間を別々に確保することは
子ども自身が安心して学べる環境づくりに繋がります。
一方で、男女一緒に学ぶ時間の価値もとても大きいです。
体が変化していくことを前提に、
- 外見の変化をからかわない
- 異性の体の変化や不調に理解を持つ
- 互いの気持ちやプライバシーに配慮する
といった「思いやり」や「ルッキズム」への気付きは
一緒に学ぶからこそ育つ視点であると考えます。
第二次性徴授業の理想を目指すならば、
男女別で学ぶ時間と、男女一緒に学ぶ時間の“両方”があること
によって、双方の理解がより深まると思います。
一人ひとりが安心して自分の体と向き合い、
同時に他者への理解を深められる環境が整ってこそ、
性教育は本来の力を発揮します。